留学記 本場の音を求めて
ヤマハで新設されたギター研究課に配属されて以来、手工ギターの研究や商品開発を繰り返すうちに知識や経験も積み重さなり、ギターの正体の外郭が少し見えた感じがした。その反面、試作を重ねて行くうちに音づくりの難しさやギターの奥深さを知った。良い音をつくるには理論や文明の力では解決できず、毎日の経験をこつこつと積み重ねることが重要であることを知った。難しい音づくりへの挑戦は私の仕事への活力となり、私自身を成長させる魅力的な仕事だと感じた。また、ギターのやさしく透明感のあるきれいな音色は、なんの抵抗もなく私の体に自然に溶け込んだ。「好きなギターの音づくりを私の生涯のテーマにして、生涯その難しさに挑戦し続けよう」と一大決心をした。
スペインでは、現代ギターの原型をつくったアントニオ・トーレス以来、数多くの製作家たちが伝統の製作技術で個性のあるギターを製作していた。製作以外でも、ソルやタレガなどの作曲家、セゴビアやイエペスなど名演奏家が出現していた。音楽院のギター科の教授陣も充実し、演奏家や教育者を輩出していた。現在も、クラシックギター音楽業界の中のあらゆる方面でノウハウが伝承され世界での影響力も大きく、スペインはギターの母国である。
ギターを生涯の仕事の対象と決心をした時に、原点である母国スペインで音づくりのためにギターの目に見えない部分についても知りたいことや勉強しなければならないことが多かった。スペイン伝統の製作方法や技術的な秘伝、製作家のギターに対する考え方、スペイン風土や国民性とギターとの関係、製作家とギタリストの連携など疑問は次から次へと出てきた。自分自身でスペインに行って製作を体験し、知識や技術を深めギターの音づくりの真髄を習得したいと考えた。
スペイン留学を会社(社長宛)に申請するために書類を書いた。その当時はパソコンもなく、万年筆
で書いては修正し何度も書き直した。会社から帰宅後や休日に睡眠時間約3時間で2週間を要し申請の報告書が完成し、提出した。熱意はわかるが技術を学ぶ製作家が未定では社長に申請が難しい」と部長のところでストップした。半ば諦めかけたころ人事異動があり部長が代わった。新部長はヨーロッパへ管楽器で留学の経験があり「行けばなんとかなる」と社長に申請してくれた。社長に申請の承諾を得て1972年から約3年間、本場の音を求めてスペインへ留学した。